行政上は福岡市、空港も福岡空港と呼ぶのに対し、JRは博多駅、港も博多港。お土産に品にしても、博多人形や博多織等と呼びます。また、祭りは博多山笠、博多どんたく松囃子等、博多の方が全国的にも有名です。
博多は大和朝廷時代(6世紀頃)九州を治め、大陸との外交を掌る大宰府の外交として開け、平安時代に入ると、日栄貿易を始め、大陸・朝鮮貿易の中心地として栄えました。その後、永禄・天正年間(16世紀頃)大友・毛利・島津・龍造寺氏等が九州に霸を競い、博多は何度も戦火に遭い、灰燼に帰しました。
天正15年(1587年)に、豊臣秀吉が博多復興に着手し、「博多町割り」と称する都市計画を実施しました。今日の博多山笠・博多松囃子を運営する組織「流」の原型はこの時できたものと言われています。
下って徳川時代、筑前ノ国に封ぜられた黒田氏は、博多の西郊に居城を構え、城下町を黒田氏の出身地に因んで福岡と命名します。 以後町の中央を流れる那珂川を挟んで、西側を福岡、東側を博多と呼びました。
明治22年(1889年)、市制が施行され福岡市が誕生します。翌23年1月の第2回市議会に於いて、博多・川端町出身の亀井議員が「市名変更(博多市とする)の儀を提案しますが、スッタ・モンダの末、1票の差で否決し、これで福岡市の名称が確定しました。
その年の12月、博多〜久留米間の鉄道が開業し、駅名を「博多」とすることで、市名に対する博多部の不満を押さえたといいます。